





僕はこの「人間が作ったのに人間のスケールに収まらない感」と「何も主張しない存在感」が非常に好きです。僕と同じ人間が作ったとは到底思えないのです。人間ってすごいな。
その後、みんなと大学に戻り、大山顕さんのスライドレクチャーを聞く。
質問の回答で大山さんは「ドボク〈工場や団地、ジャンクション、ダムなど機能性を重視した人口構造物〉が好きな人は恐らく過去から一定の割合で存在していた。ただ現代はそれがネットで顕在化しただけだ。これからも一定の数でドボク的なものに萌える人は一定するいるだろう。」との事。
でも、マーケットを広げる工夫はできるんじゃないかなぁ。それこそ情操教育レベルで…。
大山さんが未開拓分野のマーケットを開拓したノウハウが気になりました。
僕は「団地は写真撮影のノウハウが先で面白さに気付いたのか、元々団地が好きでノウハウを開発したのか」という質問をした。
大山さん曰く、後者だそうだ。団地の形態の差異(面白さ)を表現しようとすると、カタログのような撮り方になったとの事。
今回のスライドレクチャーのタイトルは「風景の発見」だったように、新たな風景の見方の「レンジ」を獲得することで、風景の可能性・資源性・有用性が広がると考えている。「レンジ」の獲得はある作法が先行する事で可能なのか、あるいは単純な嗜好か…。僕は前者に期待したい。「感覚のアーキテクチャ」的な感じがする。それできたら、すごいよなぁ。もう既にあるのかなぁ。
ああ、大山さんの街歩きワークショップ行きたかった…予定が…。
レクチャー後の懇親会では週2出勤となる石川さんも交えてスライドショー。
西千葉の甘太郎前の湾曲した道の起源を探るスライドを見せて頂いた。西千葉キャンパスの軸線のズレの理由は石川さんでも分からない、との事…。
とても刺激的な一日でした。
ー以下追記ー(地下パルテノンが「わかりやすい建築」との評価に対して@mixi)
専門的な話ウェルカムだよ。僕からはふりませんがw「ただ好き」なのは個人的な好みだからさw
それは恐らく、機能に特化する事の副次的メリットなのかな。「いわゆるドボク的な人口構造物(工場、ダム、団地、ジャンクション、水門など)は『洒落る余裕がないから』意匠性が皆無」by大山顕。ゆえに、その空間や構造物、表層の読み取り可能性が鑑賞者に広がる。例えば、折られた木の枝はそれで遊ぶ子供にとって「魔法のステッキ」にも、「正義の剣」にも、「物干し竿」にもなり得る。パルテノンって表現は実はここに行くような人の中ではある程度共有された言い回しで。多分これが開放された当初のある鑑賞者が「パルテノンみたい…」って言ったんだろうね。鑑賞者のイメージが投影し易い、って事で「わかりやすい」んだと思う。
今の世の中、風景の大半はイメージを鑑賞者に押し付けがち。看板なんてその最たるものだが、悲しいかな、マスコミを経由することで、作る側が良かれと思った建築が「お洒落建築」のレイベリングをされ、大して自然環境的に機能性を伴わない街路樹に「エコ」が投影される。
イメージ(意味)を鑑賞者に押し付けないからこそ、目の前の空間や形態に向き合い、自分なりの読み解き方ができる。もしかしたら、「意味を押し付けない」事こそが重要なのかも。ネット空間の過剰な情報に疲れるから、あえてパソコンから離れる選択があるように。
それが「地下パルテノン」の魅力なんじゃないのかな、と思いました。
それは恐らく、機能に特化する事の副次的メリットなのかな。「いわゆるドボク的な人口構造物(工場、ダム、団地、ジャンクション、水門など)は『洒落る余裕がないから』意匠性が皆無」by大山顕。ゆえに、その空間や構造物、表層の読み取り可能性が鑑賞者に広がる。例えば、折られた木の枝はそれで遊ぶ子供にとって「魔法のステッキ」にも、「正義の剣」にも、「物干し竿」にもなり得る。パルテノンって表現は実はここに行くような人の中ではある程度共有された言い回しで。多分これが開放された当初のある鑑賞者が「パルテノンみたい…」って言ったんだろうね。鑑賞者のイメージが投影し易い、って事で「わかりやすい」んだと思う。
今の世の中、風景の大半はイメージを鑑賞者に押し付けがち。看板なんてその最たるものだが、悲しいかな、マスコミを経由することで、作る側が良かれと思った建築が「お洒落建築」のレイベリングをされ、大して自然環境的に機能性を伴わない街路樹に「エコ」が投影される。
イメージ(意味)を鑑賞者に押し付けないからこそ、目の前の空間や形態に向き合い、自分なりの読み解き方ができる。もしかしたら、「意味を押し付けない」事こそが重要なのかも。ネット空間の過剰な情報に疲れるから、あえてパソコンから離れる選択があるように。
それが「地下パルテノン」の魅力なんじゃないのかな、と思いました。

0 コメント:
コメントを投稿